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思い出すこと

 毎年冬から春にかけての頃に思い出す。「遼君はね…」「遼さんはねえ…」「リョウタンは…」訪れた喫茶店の店主たちは、その取材者のことをまるで自分の息子や孫のように語っていた。『47都道府県の純喫茶』が出版されて間もなく、本に掲載された店を訪れた時のことだった。

 時々訪れた先の喫茶店で紹介されたメディアの話題を振ることがあるが、取材者に対してこれほどの親しみを込めて喫茶店の店主が語るのを聞いたのは初めてだった。
 忙しくない時間帯であれば店の人に話しかけたこともあるが、中々打ち解けることは難しい。山之内さんはどんな人だったのだろうか。

 出版の数カ月前、山之内さんが数日前に取材した店を偶々訪れた私は、店の人から山之内さんのことを伺った。本を作るため取材していることも。すごく素敵な方だった、一度連絡を取ると良いと山之内さんの名刺を書き写すように勧められたのだった。

 だが、結局私は名刺の内容を書き写すことはしなかった。連絡するとして一体何をどう書いたらよいのだろう…。当時子どもが幼く、あまり喫茶店のことにお金も時間も遣いたくなかった。山之内さんにメールを送るという行動自体が、喫茶店訪問活動の再開につながりそうで。とはいえ、あの日は子どもを夫に預けタイムリミットを気にしながら電車を乗り換えその店を訪れていた。もうすでに活動を再開していたのだった。

 その年の11月、山之内さんの本を一読して、改めて情報量の濃さと取材力に圧倒された。簡潔な文章の中にある情熱を感じ、山之内さんの喫茶店に対する思いに共感した。その時簡単な読書感想文をブログに投稿したのだが、その時も共感については上手く伝えられなかった。

 ブログに記事をアップしてから数週間後のこと、私は山之内さんの訃報を間接的に知った。今でも思い出すだけでつらいのだが、山之内さんが事故に遭われたと想像されるようなキーワードがアクセス解析結果に複数あるのに気づいたからだった。当初、悪質ないたずらだと憤慨したのだが、類似したキーワード検索結果はその後何週間も続いた。これは残念だが事実なのだと、誰かが私に山之内さんの訃報を知らせようとしていると考えるようになった。

 その後、取材対象の喫茶店で山之内さんの著書の話をしても訃報について語る店主は全くおらず、私も店主の方々に訊ねることはしなかった。2014年が明けてから亡くなられたことが少しずつネット上に情報として上がっていたが、取材先の店舗ではそのような話題は一つも出てこなかった。私は直接誰かからはっきりした情報を得られるまでは、そのことを認めたくなかった。

 それから1年程して、とある喫茶店で山之内さんが亡くなられたことを知る方から話を伺うことができ、写真も見せてもらった。大量の本を前に笑顔を見せている山之内さんの姿。「彼、若くてカッコいい人でしょ」と話を振られても、私はすぐに言葉を返すことができなかった。

やはりあのとき簡単な応援メールでも送っておけばよかったのかと時々考える。否、ご健在であったならばその後の活動を遠くで見ているだけだったかもしれない。何年経っても、もやもやしたものが晴れずにいる。

 山之内さんが2冊目、3冊目に作りたかった本はなんだろうか。本ではなかったかもしれないけれど。そして、私はどうしたいのか、何ができるのかを今も考えている。

 

 



# by matsutakekissa | 2019-03-04 00:14 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)

山すその喫茶

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 甲府と富士吉田の日帰り旅に出たのは2018年の春先でした。
 月江寺駅周辺は商店の並ぶ通りが縦横に広がり町の規模は大きいですが、廃業した店が多く人通りも少ないのが何となく不安で足早に歩きました。
 目的の喫茶富士は、橋を渡ってすぐのところにありました。1週間ほど前に降った雪が路肩に残り肌寒く感じました。店の人に東京から来たと言うと、あちらはもう桜の開花宣言が出ましたね、こちらは雪が降って気温も低くてまだ溶け残っているんですよ、とのこと。寒いよねえ、と常連客のおじさんたち。
 トーストとコーヒーを注文すると、トーストはガラスの皿にバターとマーマレードを載せて提供されました。なんだか都心のオフィス街の喫茶店モーニングを思い出しました。そういえば入り口の袖看板にはアートコーヒーの文字が入っていた。
 その後女将さんから色々なお話を伺いました。富士は写真家のご主人と二人で始めた店で、お二人はともに都内のご出身でしたが、山を撮影するご主人の仕事の関係上、富士吉田に移住されました。そういえばこの街にはコーヒーを飲める場所がない、ということで喫茶店を開いたのだそうです。開業を決めたのは富士吉田へ移住した後でしたが、東京のアートコーヒーで1週間ほどコーヒーの淹れ方などを習ったそうです。短期修行期間中、日に10杯以上のコーヒーを飲んだとか。
 ここでようやく、なんとなく東京っぽさを感じた理由がわかりました。ご主人の遺された沢山の写真集を拝見しながら、東京と富士吉田を行き来して忙しかった往時のことなどを想像しました。


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 最終的に店内の撮影について伺いました。「撮影したいという方も時々いらっしゃいますが、うちは古くて・・。何度か改装しているんですよ。当時は3年に1度位は替えていました。ここも最後に改装してから20年以上は経つかしら。『ガチャ万』といって紡績業で景気が良かった頃は、わざわざ熱海から芸者衆をタクシーで呼んでいたひともあったんですよ。」

 古いものがそのまま残る商店街も、お店の内装も、街の人や店主にとっては残したいから残したわけではなく、改装できずにやむを得ず今に至ると仰っていました。私は古いものがそのまま残っている街や店が好きですが、当事者にとっては好んで保存しているわけではない光景であることもしばしばです。カッコよくて素敵なデザイン―、この言葉をそのまま伝えても、却って距離が広がったかもしれないと思うこともあります。
 別の理由を考えたところで、上手い理由も見つからず不審に思われるかもしれないから正直な気持ちを伝えるのですが、ジレンマを感じる時も多くあります。これでよかったのだろうかと。
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# by matsutakekissa | 2019-02-09 00:39 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)

築地の喫茶

築地市場の移転まで1週間を切りました。
最後の思い出に場内の喫茶(木村家、センリ軒、愛養など)を訪れてみたい気もしますが、
混雑していて平日でないと厳しいかな。
以下は場外にあったぎんぱと網兼という喫茶店について5年前(2013年)に書いた内容です。
今は2店とも閉店しましたが、読んでいるうちに当時を思い出したのでアップします。




いまや観光地のひとつとして定着した築地市場。訪れるたび、お祭り気分の観光客と仕事中の人々が発する緊張感とスピード感で、一種独特の空気を感じます。
 
 築地の喫茶店は各店舗に特色があり、固定ファンがついています。場外市場の外れにある「コーヒーぎんぱ」もそのひとつでした。
 場内と場外を結ぶ橋のたもとにあり、緑色のひよけが目印の小さな休憩処で、客席はカウンターのみ8席ほど。仕事で買い出しの人が立ち寄るようで、「あったよ」「やっと見つかった」と言って入ってくるお客さんもいました。
 店を仕切るのはおじさんとおばさんの二人。コーヒーを注文すると、奥の方でおじさんが淹れたものを、おばさんがコンロの鍋で温めて出してくれます。お二人の連携プレーと、話術の巧みさが店のウリのようです。
 アットホームな雰囲気の中、初対面の客同士が会話に加わる様子が立ち飲み居酒屋の雰囲気でした。

 初めて訪れた時、閉店の話を聞きました。橋の工事の立ち退きで、39年続いていた店は今年(2012年)いっぱいで閉店。仮店舗の敷地も用意されていたそうですが、1年間の期限付きのため続けようにも難しいとのことでした。
 おじさんは80代、おばさんは70代とのことでしたが、立ち振る舞いや会話など、とてもそんな御年には見えません。しかし、その後の会話の端々に広島(ひろしま)、「ひ」と「し」の区別が発音しにくい、とか、東京から消えていった川や橋の話を聞くことができて、あぁ、むかしっからの東京人なんだと思いました。

 時は過ぎ、12月の終わり。営業されておられるだろうか。年末にむけ気ぜわしい築地市場を訪れました。閉店のことを尋ねてみると、やはり今月30日が最終日と告げられました。この日、店内の日めくりカレンダーの格言は「大衆はものを書かない批評家である」とありました。ぎんぱのような、活気のある喫茶店の客のことを言うんだろうな。

 年が明け、ぎんぱの店のドアには常連さんからの寄せ書きが張られていました。店の方への感謝の気持ちや思いが綴られており、真ん中にはハート形に切り抜かれたおじさんおばさんの写真がありました。
 いかに多くの方に愛されていた店だったかを知り、閉店をなごり惜しく感じまた。
 ぎんぱの閉店、自分でなく、ちゃんとした常連さんがどこかで綴ってくれているだろうか。

 ぎんぱの代わりになる店をと思い、近くの「網兼」に寄りました。
 こちらはおばあさんがおひとりでやっているカウンター5、6席の小さなコーヒー店です。一時期、開店中の時間にやっていおらず、閉店したと思いこんでいました。しばらくお休みしていたのか、営業時間が短くなったのか…。
 外国人男性がやってきて、店にいたお客が店主のおばあさんと彼の通訳を買って出ていました。
 単語だけのやり取りで、おばあさんは自分のことを「gran-ma」、店を「small」と表現し、外国の方は「warm」と返していました。国籍や生まれや世代を越えて、店の雰囲気に魅力を感じた人たちが集まってくるんだな。傍で聞いていた私もなんとなく温かい気持ちになりました。
 創業56年、店のおばあさんは御年86歳とのこと。網兼という変わった店名は、店の方の家族で屋形船を経営していたのが由来なのだそうで、店内には河岸の写真やロープの結び目が飾られていました。
 そのなかに宇宙飛行士・若田光一さんのワッペンも貼られています。お客さんがNASA土産で置いていったのかな。いや、まてよ、こんなのお土産で売っているのかな…。
 色々お聞きしたいところでしたが、空席を見つけたお客さんが次々とやって来るので長居無用、席を立つと、忙しいおばあさんの代わりに常連のおばさんに「また、来てね」と言われました。
 新規客を歓迎し、時には店主の代りにお冷やとかコーヒーを出す常連客の存在は、店主と店がいかに愛されているかの証明でもありました。
 

コーヒーぎんぱ
コーヒー 280円 ミルクコーヒー 300円
中央区築地6丁目
2012年12月30日に閉店

コーヒー網兼
コーヒー 250円
メニューはコーヒーのみです。
火、金、土のみ営業

# by matsutakekissa | 2018-10-02 23:15 | Trackback | Comments(0)

広島のレストラン喫茶

性格がアレなせいか薄暗くてこじんまりとした喫茶店が好きですが、子どもが産まれてからはそのような店に行くのは難しくなりました。
喫茶店に行くために夫に子守をしてもらい一人で出掛けることもありましたが、後ろめたさで落ち着かず早々に店を出ることがほとんどでした。最近になりようやくそんな思いをすることもなくなりましたが……。
付き合わせるのも結局のところエゴになってしまうものの、子ども連れで入り易いレストラン喫茶やキャパシティの大きい喫茶店に行く機会が増えました。店内や客席との間隔が広いのであまり気を遣わずに寛げてありがたいです。

旅先では広島県内のレストラン喫茶2軒が印象に残っています。入り易さを意識して選んだ店ではなかったのですが、どちらも家族連れやグループ客で賑わっていて、料理の味が良かったです。

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広島市十日市のレストラン喫茶紫苑はお昼を避けて訪れたのに、店内はほぼ満席でした。なんとか空いている席を見つけて座りメニューを開いたところ、テンダーロインステーキにはじまりポークチャップ、自家製だしのうどん、丼、カレー、ドリンク各種、甘味まで豊富な内容でした。大いに迷ってオムレツ、プリンアラモード、コーヒー、ジンフィズ、ホットケーキと、それぞれが食べたいものを注文したところ、厨房は混んでいたのか出来上がった品から随時運んでくれました。
真冬なのにスイカが入ったアラモードに驚き、縁に「紫苑」と書かれた皿に載ったオムレツは見た目は食堂の一皿っぽかったのですが、卵が半熟で洋食屋の味だったので感動しました。手焼きのホットケーキは出て来るまで30分ほど掛かり、一品ずつ料理を楽しんでいるうち長居してしまいました。
周りも食事が終わってからもすぐ席を立たずに寛いでいるお客が多く、年配の女性グループがずっとお喋りしていたり、隣の男性二人組はポテトフライとアイスコーヒーで話込んでいました。その一方で若いグループ客が食事するなど、それぞれの世代が好きなスタイルで過ごせる雰囲気の店でした。

レストラン喫茶紫苑 広島市中区十日市 (2017年に閉店したそうです)

呉市の喫茶赤煉瓦は朝の時間帯に訪れたため、モーニングメニューのみの提供でしたが、こちらも手造りのポテトサラダや卵料理がおいしく食べて驚きました。外観からは分かり難かったですが奥行きのある店内で、家族連れでモーニングを食べに来ている人たちも見かけました。
店内の中程には鯉のいる池があり、食事中に何度も席を立ち鯉を見に行く息子には閉口しましたが、店に来ている他の子どもたちも同じことをしていました。昔、店ではペンギンを飼育していたそうです。現在でも鯉がいるレストランなど珍しいのに。気軽に入り易い雰囲気でしたが、料理の味や内装を見るにつけ、昔は一寸高級な店だったのかもしれません。

赤煉瓦 呉市広本町

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# by matsutakekissa | 2018-07-31 07:24 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)

喫茶だんだん

 
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 8年前のことで記憶がぼんやりしていますが、鳥取、島根、山口を2泊3日で旅しました。米子はほんの半日ほどの滞在でした。
 宿へ向かうため夕暮れの町を駅前から歩き、賑やかな繁華街を抜けて川沿いにある静まり返った商店街を歩きながら、昼間の風景を想像し、翌朝には町を経たねばならないことを残念に思いました。
 駅前に着いたとき店じまいの準備をしていた喫茶店があったので、明日の開業時間を尋ねたところ「七時からです」という返事だったので明日の朝寄りますねと言い、その場を後にしました。
 翌朝7時、町はまだ静かで殆どの店が閉まっていました。「本当にこの時間から営業しているんだろうか」と多少不安になりながらも店へ向かうと、店内は明りが点いていました。
 店の人もこちらの顔を覚えていて、「土曜日で開店がいつもより遅いのに忘れていて・・・わざわざありがとうございます」と言って下さいました。わざわざ平日通りの時間に店をに開けていてくれたようです。
 外観から想像したのと違って内装は手前にカウンター席、その他は四人掛けのダイニングテーブル位の高さの机と椅子が配置されたこじんまりした店で、食堂の雰囲気がありました。定食類のメニューが充実しているので尚更そう思ったのかもしれません。
 「昨晩はどちらでお泊まりに」と訊ねられたのでホテル名を伝えると、「そんないい処に泊まったのに、そちらでモーニング食べればよかったのに、申し訳ないです」とまで言います。約束を破らずに来てよかったと胸をなでおろしました。
 しばらくしてから木のトレイで運ばれてきたモーニングセットは、トースト、目玉焼き、サラダ、味噌汁とコーヒーでした。
 前日は境港へ行ってきたことを伝えると「夏場は境港でアルバイトしていたんです」とのこと。数カ月前まで水木しげるをモデルにしたNHKの連続テレビドラマを放送していたので、ドラマが終了しても記念館等は混雑していたと盛況ぶりを伝えると「まだそんなに混んでいるんですか」と驚いた様子でした。
 お代を払い店を出た後、後ろから店の人が追いかけてきて、「気をつけてね、だんだんね~」と言い、抹茶飴の入った袋をお土産に頂きました。NHKのドラマの放送中、何度となく耳にした「だんだん」(ありがとう)でした。

軽食喫茶 蕗
鳥取県米子市万能町
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# by matsutakekissa | 2018-07-07 23:57 | Trackback | Comments(0)

喫茶店と訪れた街の印象を書いています。


by matsutakekissa