今更告白するほどのことでもありませんが、実家は石川県にあります。でもここは、故郷と呼べるほどの思い出が少ないのです。盆暮れの帰省を指折り数え、旧友との再会を心待ちにし、郷土の風土や名産品を自慢できるほど、思い入れがないのがちょっとかなしい。

 昨秋、葬儀に参列するため、久しぶりに父の故郷を訪れました。以前訪れた時も寂れた風景でしたが、駅前にあった小松製作所が取り壊されたせいか、ますますさびしい雰囲気を感じました。

 父の実家は既に売り払われてしまったので、ここに来る理由はますます少なくなりました。幼い頃は連休のたびに祖父母に会いに訪れたものですが、家庭の事情により、この20年ほどは2、3回ほどしか小松を訪れていません。そのことを考えると、いつも気が重くなります。
 帰省の時はいつも実家に直行していたため、小松駅周辺を歩くことはほとんどありません。ほとんどシャッター商店街と化した薄暗いアーケードを歩いていると、その先に明かりが見えました。

 光っていたのは喫茶店の名前が書かれた電光看板でした。車1台が駐車できそうなスペースの奥に、店の入口があります。木枠のドアから覗いた店内は、だいぶ年代が経っていそうなつくりをしていました。小松駅前にこんな店があったのか…。
 本日一番の客だったらしく、店内は暖房が効いていませんでした。天井の梁や仕切り板の木目は深いこげ茶色で、店の雰囲気は重厚でやや薄暗く感じます。ただ、窓の外が中庭になっており、淡い朝の光が差し込んできていました。
 店の壁のあちこちには絵画が掛けられています。店の隣からキャンバスがいくつものぞいて見えるので、どなたか、画を描いている方がいらっしゃるのでしょうか。店の壁のあちこちにも絵画が飾ってあります。
 「今朝は寒いですね」とお店の方がストーブを点けてくれました。しばらくして常連客が訪れると、店のおばさんの喋り方はなまりのある言葉に変わりました。かつて耳にしたことのあるなじみのある音のはずなのに、まるで異邦人になってしまったかのよう。懐かしさと疎外感が入り混じった気持ちで店をあとにしました。
 
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コーヒー 350円
石川県小松市
朝8時半頃から営業 定休は不明
※店の入り口に「ノスタルジー」カフェだか、喫茶だかのポスターが貼られていました。近年、地元のコミュニティ誌かラジオなどで紹介されたでしょうか?
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# by matsutakekissa | 2011-05-18 12:53 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)  

ローザ

 中野のブロードウェイに行く途中、車窓からは満開の桜の花が見えたので、東中野で降り東口から神田川へ向かいました。普段は静かな人通りの住宅街も、お花見の人々の流れができていました。

 川へつづく道の途中にある喫茶店は、自分の知る限りではいつも閉まっているのですが、その日は店内に灯りがともっていました。ドアを開けるとそこには誰もおらず、コーヒーの残り香と音楽がながれていました。
 すみません、と声をかけると、奥からはマスターが顔を出しました。
 「もう、お終いですか」と尋ねると、お昼ごろまでですとのことでした。
来るのが少し遅かったことを残念に思ったのが半分、とうに閉めていたとずっと思いこんでいた店が営業していてうれしかったのが半分で、近いうちにまた来ようと思いました。

 よく晴れたうららかな朝に、再度店を訪れると、そこは早朝から近所の方々の集うサロンになっていました。カウンターには老眼鏡がいくつもあります。必要なお客さんが店に「置き眼鏡」として置いていっているのでしょうか。マスターとのお話を楽しみにする人がいる一方、散歩の途中に出会った近所の方同士が立ち寄ったり、あるいは誰とも話さずに新聞を読み耽る人…。みなさん、自由きままに店での時間を過ごしていて、仕事は既にリタイアされているような年齢層の方ばかりでした。そういう常連客ばかりの店に割り込んでいく自分は、今日も場違いで無粋な奴のはずでした。
 でも、あまりぎこちなさを感じませんでした。それは常連さんが他人にあまり干渉せず、人それぞれに過ごす人が多かったからかもしれません。

 突然、店の奥からニャアニャアという声がしました。「そっちにいきたいっていってるんだわ」と常連さん。マスターがカウンターの奥の引き戸を開けると、白黒ブチ猫が出てきて、カウンターの向こうのお客の顔を見ていました。マスターに喉を撫でてもらうのを見るかぎり、かなり大事にされているようでした。

「つもりちがい十ヵ条」が貼られていました。
つい最近、とある店で見かけて以来、気になっていたので、写真を撮らせていただきました。文字にも起こしてみました。

高いつもりで 低いのが 教養
低いつもりで 高いのが 気位
深いつもりで 浅いのが 知識
浅いつもりで 深いのが 欲望
厚いつもりで 薄いのが 人情
薄いつもりで 厚いのが 面皮
強いつもりで 弱いのが 根性
弱いつもりで 強いのが 自我
多いつもりで 少いのが 分別
少いつもりで 多いのが 無駄

そのつもりでがんばりましょう

はい そのつもりで がんばります。
正直、わたくしにとっては耳に痛いことばだらけですね。

中野区東中野5丁目
朝6時~12時ごろ
コーヒー 330円 モーニングセット 500円~550円

【追記】
 あまり多くの資料を読んでいないので、あいまいですが、どうやら関東大震災後、東中野駅周辺は商店が増え発展したようです。駅東口の商店街「東中野本通り共栄会」にあるベーカリー兼喫茶店には、商店会の歴史をまとめたファイルが置いてあり、興味深く拝見いたしました。結婚式場で有名な「日本閣」は釣り堀店から経営拡大していったとか、全く知りませんでした。わが町を愛する方々の手によって作られたということがうかがわれる内容でした。
 また、月刊誌『机』(紀伊国屋書店、1958年2月号)に書かれていた井上誠さんの記事によると、震災後の東中野の喫茶店に触れた記述がありました。ミモザ、ユーカリ、暫、ざくろ、ルネ、ノンシャランなどの店があったそうです。喫茶店は当時、作家や詩人のたまり場として利用されていたようで、その中には北原白秋、井伏鱒二、林芙美子などのメジャーな方々の名前も見受けられました。現在は閑静な住宅街としての東中野周辺しか知りませんが、賑やかな時代もあったのですね。また、震災後に街が発展した点は、新宿と同じということにも気付かされました。
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# by matsutakekissa | 2011-05-13 13:03 | 一本マツ | Trackback | Comments(0)  

 広島観光の最後に基町の団地(基町・長寿園高層アパート)を訪れました。紙屋町にある広島そごうの北方面、中央公園の奥に位置する公営(市営・県営)団地群です。
 団地の歴史や建築に関しては広島の建築物をまとめた「建築マップ」というサイトが大変詳しく、旅行の前には大いに参考にさせていただきました。ありがとうございます。そのサイトとWikipediaの説明によると、終戦後のバラック建設から発展した木造住宅密集地帯は「原爆スラム」と呼ばれており、その後相次ぐ火災から土地の再開発事業が1960年代に持ち上がり、10年の歳月をかけて団地が完成したそうです。

 低層群と高層群に分かれたアパートが建つ広い敷地内には小学校や幼稚園、交番、ショッピングセンターもあるそうなのですが、ひとつずつ確かめていたらとても時間が足りないので、興味の赴くままに歩いてみました。
 団地の数ヵ所に点在している商店街には畳屋、水周りの工事を行う工務店、学習塾、美容室、酒屋、食料品店、お惣菜屋、お好み焼き店まで実に様々な業種の店舗があって驚きました。団地の西側の太田川沿いの県営住宅の近くには銭湯「平和湯」と数店の商店が建ち並んでおり、喫茶店の看板もありました。思いもよらないことでした。b0158023_23302643.jpg
 プラスチックのドアを開けると、店内にいたのはマスターお一人。コーヒーを注文すると、おかきとお茶をサービスしてくれました。きさくな方で、突然現れた余所者の自分にも、いろいろと話しかけてくれました。
 「かなり長くやっているお店なんですか?」と尋ねると、「団地ができる前から営業しているから、45年以上やっています」とのことでした。元々マスターのお母さんが経営していたそうですが、3年前に亡くなられたため、息子さんが後を継いでいるそうです。「やめようかと思ったけれど、『やめないで』と来てくださるお客さんがいらっしゃいますから」。
 原爆資料館の展示を見て、かえって戦前の広島を全く知らなかったことに気づきました、と話すと、店の奥からわざわざ本を持ってきてくださいました。戦前・戦後の広島の写真や文章を集めた本で、マスターのお母さんの蔵書とのことでした。「みんな原爆で燃えてしまって、広島には古いものがあまりないんですよ」 マスターは戦後生まれだそうですが、被爆して戦後若くして亡くなった身内の方のことを話してくださいました。
 立ち入ったことをお聞きするきっかけをつくり、大変うかつだったことを謝りましたが、マスターは淡々とされていました。祖父母の代に戦争体験があるのと同様、広島出身の方に原爆体験があるのは当然なのですが、あまりにも想像力がありませんでした。
 店を出て太田川の河川敷を歩いていると、被爆した樹木の碑など、原爆に関連した碑をいくつか見つけました。あの時、この川で亡くなった命もたくさんあったことでしょう。夕陽色に染まる川面を見ながら、今日のことを忘れないようにと、誓いました。b0158023_23305651.jpg

コーヒー 300円
広島市中区基町
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# by matsutakekissa | 2011-05-03 23:33 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)  

純喫茶パール

 十数年ぶりに広島に行ってきました。これまで3回ほど来たことがあるのに、修学旅行とか、次の日の移動のための宿泊のみとかばっかりで、まともに街を歩いたことがありませんでした。
ひとつだけあった目的と用事を済ませた後は、時間を自由に使うことができました。さて、どこへいこうか。広島と言えば、ガイドブックにも載っている有名な老舗喫茶店があります。駅前の「パール」です。
 店内に入ってすぐ、天井が高いなあと感じました。開業は戦後すぐのことらしいので、当時来店した人々は、今よりもっと広々とした空間を体感していたのでしょうか。
 店内は広々としていますが、TVを見るためか、お客さんの多くは入り口近くの席に固まって座っています。レジの横にはスクラッチ式の馬券も置いてありました。奥にはマンガの本がぎっしりつまった本棚もありますが、そっちはお客はまばらでした。ガラスケースには広島カープグッズが展示されていて、それを見て改めて旅に来たことをしみじみ感じました。
 まだ朝だったのでモーニングの一番安いセットを注文しましたが、周りを見渡せばホットコーヒーのお客さんばかり。コーヒーにはお菓子か何かが付いてくるみたいです。ここは中国地方だけど、中京や近畿地方の習慣がこっちまで伝播しているのだなあ。
 周りのお客さんをちらちら観察しつつ、観光ガイドと地図に目を通し、次の目的地を確認しました。有名な店だから観光客も結構多いのかと思いましたが、常連さんばかりのようです。
 帰り際、レジに立っていたおばさんに話しかけると、「つい最近、映画の撮影があったの。『悪人』の監督、ヤン監督って知ってる?」と聞かれました。
 なんでも、監督じきじきにお店にやってきて、撮影していったのだとか。
「こういうレトロな店、いまどき他にないし、つくれないでしょう」と、撮影地に選ばれたことを誇らしげに語っておられました。某企業のCMサイトにて上映の20分ほどの短編作品のようですが、「私はインターネットやらないから見れないの」と残念そうでした。4月20日から放映、ということも念を押されて言われました。
 あれから2カ月近くが経とうとしています。その日を大変楽しみにして待っていたのですが、残念ながら、企業のサイトには映画がアップされておらず、ニュースリリースにすら載っていません。おそらくは震災の影響だろうと予想されますが、もしかすると編集が遅れているのかもしれません。(多分見逃してはいないと思うのですが、そのページを単に探し出せていない可能性も…ありますが)。お蔵入りにならないことを願っています。企業ホームページでアップされ次第、当ブログにも追加情報を追記したいと思います。
 なお、映画『悪人』の監督はヤン監督ではなく、イ(李)監督でした。私はてっきり、「月はどっちにでている」の崔洋一監督かと勘違いしていたのですが、イ監督は新進気鋭の方なんですね。

コーヒー(自家焙煎) 360円 ※きちんと確認しませんでしたが、コーヒーアーンで淹れているようです。だとしたら、かなり珍しいですね。b0158023_12572219.jpg

広島市南区松原
朝7時か8時からの開店でした。日曜も営業していました。
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# by matsutakekissa | 2011-04-28 12:58 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)  

虎ノ門般若・談話室

 いつもあちこちの店に浮気していて、一所に腰をすえて通いつめることがほぼない無責任な自分ですが、最近、時間がとれれば訪れる店が1軒できました。

 きっかけは単純でした。目白駅前にある喫茶店の営業時間を尋ねようと、iタウンページで検索をかけた時でした。そこで本来知りたかった結果は得られませんでしたが、代わりに検索結果一覧には気になる文字がありました。「虎ノ門般若」という屋号の店が、目白駅徒歩圏内にあることでした。

 これって、虎ノ門般若のことかなあ。虎ノ門から移転したのか、それとも、別のオーナーが名前を継いで、目白で店を開いたのかなあ。いやいや、全然関係ないかもしれないし。
 気になったので行ってみました。時間はすでに夕暮れ近く。営業終了していても、不思議ではありません。でも、外観だけでも確認できたらそれでいいか。学習院大学の側を通り、千登世橋を渡って、古い石の階段を降り、ゆるやかな坂を下ってその住所のところへ向かいました。

 表通りから横道に入ったすぐのところに、いつか見た看板がありました。店先の電光看板と青色の筆文字調の「般若」の看板です。店の入口は石畳のアプローチの奥にあり、一軒家カフェ、といった趣でした。

 扉を開けると、店内にはマスターらしき年配の男性がいらっしゃいました。過去に2度行ったきりでお顔を記憶していませんでしたが、「虎ノ門にあった般若ですか?」と尋ねると、そうですというお返事でした。何でも、店はマッカーサー道路建設工事のため、2010年8月で閉店し、同年の11月19日に、ご実家のある今の場所に移転して開店したそうです。
 マスターは「まだオープンしたばかりで『開店休業』みたいなものです。開店の工事も結構長引いて」とおっしゃっていました。隣のご実家の蕎麦屋さんを手伝い、ご自身も通院しながら喫茶店経営を続けているそうです。
 虎ノ門時代のお話も聞かせていただきました。開店当時のマスターのお若い頃の写真は、背景の壁にはツタがまだ生えておらず、壁は真っ白でした。場所柄、官公庁やサラリーマンなどお客さんが絶えることはなかったそうで、中には1日3度も顔を出していたお客さんもいた時もあったとか。マッカーサー道路の建設のため、40数年続いたお店は残念ながら立ち退きになってしまったそうです。ただ、店を辞める数年前には、TV「モヤモヤさまぁ~ず2」*1で取り上げられたそうで、そんなこともあってか、インターネットの口コミも数多く寄せられ、閉店まで常連さんはもちろん、新規のお客さんも沢山いらっしゃったとか。

 般若がもし虎ノ門の般若だったとしても、すごく今風の新しい店に変わっていたらどうしよう、と思ったけれど、民家を改修しての開店だったので、雰囲気があまり変わってなくてよかった、と伝えると、「前の店の雰囲気を変えないよう、前の店から持ってきたものがあるんです。わかりますか?」とのことでした。
 ツタの葉のインパクトが強いのと、店内の鏡くらいしか思い出せません。「うーん。カップですか?」「それは新しく替えました。変えてないのはテーブル、椅子、入口の扉なんかがそうです」
 そういえば、入口近くの飾り棚のカップも、確か前の店にも置いてあったような。
 店を再開させるそのエネルギーが本当にすごい、と思いました。一度閉店してしまったら、別の場所で再開というのは、なかなかないことです。特に喫茶店経営はなおさらです。

 その後、何度かはお邪魔していますが、読売新聞*2や地元・タウン誌*3に取り上げられたこともあり、地元の方の認知度が高まったり、週末には遠方からお客さんが見えることも増えてきたそうです。また、虎ノ門時代からずっと通っているお客さんにもお会いしました。
屋号にある「談話室」の文字通り、ここのお店の楽しみのいちばんはマスターとの会話だと思っています。マスターも「いろんな人が来てくださるからおもしろいね」とおっしゃっていました。
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ホットコーヒー 480円
豊島区高田3丁目
朝10時~夜7時(今のところは無休でやっています、とのお話ですが、ご自身の通院やご実家のお手伝い等で、時間帯によっては一時休憩もあるらしいです)

*1:TV東京系列でOAの深夜番組(だったらしい)。現在は日曜・夜7時から放送時間を1時間に拡大して放送中。レンタルDVD「モヤモヤさまぁ~ず2 Vol.8」エピソード46. 東京タワー周辺のドSおばさん(2008.3.28. OA)の回の最後にお店が出てきました。
*2:1月28日読売新聞都内版および読売新聞インターネットのサイト(YOMIURI ONLINE)の地域別記事(東京23区)2011年1月28日付に掲載。
*3:文化街21(2011年3・4月合併号:通巻20号、2011年3月18日発行)に掲載。
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# by matsutakekissa | 2011-04-23 21:43 | 豊島区山 | Trackback | Comments(0)