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みどりや

 今年10大ニュースが各テレビ局で流れる年の瀬ですが、自分自身で振り返ってみれば、とにかく暑い、暑い年でした。熱中症を起こしそうな猛暑のある日に訪れたあの店が、今では印象深く思い出されます。

 清洲橋通り沿いにある喫茶店。店の前には「生ジュースとホットドッグ」と書かれた丸い看板がありました。
 以前訪れたのは、ちょうど2年前でした。4年に1度の深川八幡祭りが近いので、店の人と常連客はそのことについて話していました。北京オリンピックも開催中でしたが、TV中継を見る人間が誰もいないので、競馬中継に変えてしまっていたっけ。

 この日も、あの時と同じようによく晴れた日でした。くらくらするような暑さのなか歩き続けたので、へたりこむようにして椅子に座ってしまいました。今日は生ジュースを頼むつもりでしたが、メニューを見ると、種類はレモンとオレンジとミックスの3種類のみ、その他のメニューもドリンクとパン類のみのシンプルな構成でした。
 ひとつ気になったのが、オロナミンCというメニューでした。確かに、カウンターにはオロナミンCが冷やされた小さな冷蔵庫があります。オロナミンCって、喫茶店のような場所で、じっくり味わうものかなあ。どっちかというと、自販機の前でゴクゴク飲む姿が似合う飲み物ではなかったっけ?

 しばらくすると、カウンターのおばさんがおじいさんに「リポビタン飲む?」と言いながら、瓶の中身をグラスに中身を移し、氷を入れて出していました。グラスに移すと黄色の液体がきれいで、想像より違和感を覚えませんでした。
 そういえば、確かコカ・コーラも当初は「薬」として米国で販売されていたのではなかったか? それに、こんなに暑い毎日では、炭酸より栄養ドリンクの方が身体にはよいのかもしれないな、と自分を納得させて店を出たのでした。

コーヒー 300円 生ジュース 400円 オロナミンC 300円
江東区扇橋1丁目
日曜はお休みのようです。
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by matsutakekissa | 2010-12-29 10:34 | 江東区山 | Trackback | Comments(0)  

 パウリスタから続く一連の記事も、これでようやくおわりです。年内のうちにできてよかった。
 この記事もかなり前にアップするはずでしたが、すっかり時期を逸してしまいました。長らくお待たせしてしまい、お店の方には大変失礼致しました。

 両国駅を降りると、すぐに見えてきたのは国技館でした。夏の初めに起きた力士の野球賭博問題で連日のようにニュースが流れていた頃です。ニュースではいつも国技館のクローズアップ映像が放送されていましたが、ここでは夏場所は開催されていないので、敷地内外はひっそりとしたものでした。

 この日向かっていたのは、先般通りがかった喫茶店でした。今日は、やっているだろうか。清澄通りへ出ようと江戸東京博物館の裏を歩いていると、ハンチングを被ったおじいさんに声を掛けられました。地下鉄大江戸線の入口を訊かれましたが、自分も同じ方角に向かっていたので、駅までご一緒しました。久しぶりに両国に来たが、辺りの様子が一変しており、困っていたそうです。国技館近くの駅出口(東口)に慣れた人にとって、大江戸線への乗り継ぎは、最初はかなり戸惑うようです。
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 両国から蔵前橋通りに進んで、徒歩10数分後、目的の店にたどり着きました。中に入ってみて、外観だけではわからないその広さにびっくりしました。「いらっしゃいませ!」 いせいのいい挨拶にも一瞬驚きましたが、それがお店の雰囲気の風通しのよさを伝えてくれているようでもありました。
 壁の一部は鏡張りで、4人掛けの席がほとんどでした。店の中心に架かっているシャンデリアと、赤いプラスチックのかさの照明がよく見える席に座りたくて、テーブルゲーム台の席に腰を下ろしました。店内の壁に貼られているのは、力士の手形入りサイン、番付表、力士カレンダーと、相撲づくしでした。
 店員の方にそのことを尋ねると、この近くの相撲部屋の力士がひいきにしていて、いろいろもらっているのだとか。やはり地元だけあって相撲に縁が深いのだなあ。
※ちなみに二度目に訪れた時は、お店の本棚に揃っていたコミックス「ナンバMG5」「ナンバデッドエンド」(週刊少年チャンピオン連載のヤンキー漫画)を読みふけってしまいました。ちなみに、こちらの連載にも不定期で喫茶店が登場しています。
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コーヒー 380円
カレー、ピラフなどの軽食もありました
朝8時半~
※土曜は夕方3時半すぎで閉店のようです
日祝 休
墨田区石原4丁目
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by matsutakekissa | 2010-12-18 00:33 | 墨田区山 | Trackback | Comments(0)  

ブラジルコーヒー

 三ツ目通り沿いにある喫茶店。外観は喫茶店というより日用雑貨を売る商店のようにも見受けられ、これまで何度か前を通り過ぎても、その存在には全く気づきませんでした。
 これといった看板らしい看板もないので、店の外壁数ヵ所に「ブラジルコーヒー」の貼紙が貼られているのを見て、ようやく「喫茶店では?」という疑問を持ちました。「創業昭和11年5月5日開店」と書いてある貼り紙もあったのですが、すぐにはそれが信じられませんでした(失礼ですね。お店の外見で、そうゆうコト、判断してはいけないのに)。
 店内は喫茶店というより、やや食堂に近い雰囲気がありました。椅子やテーブルの大半は数年前に新しくなったと見え、壁も塗り直された印象でしたが、店の奥の厨房スペースは、以前の内装の名残りを残しているようでした。
 屋号の由来や歴史について聞きたかったのですが、家族連れのお客さんなどが訪れて忙しそうだったので、後日に改めることにしました。
 数ヵ月後に店を訪れて、モーニングセットを注文しました。個人的に大好きな肉厚のスタッキング・カップと、ペリカンパンのトースト(訊かなかったけど、たぶんそうです)が出てきて、かなりうれしい。他のお客さんは残念ながら見受けられませんでしたが、店の方とおばあさんがずっとローカルな世間話をしていて、この町にどっぷり浸かったような気持ちになりました。
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 帰り際、厨房に立っていたお店の方に店名について尋ねると、「うちの屋号は確かに『ブラジルコーヒー』で、創業時からこの地で店をやっています」とのことでした。
 それ以上の詳しいお話はなく、店からの帰り道、店名の由来について考えてみました。
 コーヒー豆の産地を付けた店名の喫茶店はたくさんありますし、「ブラジル」という名前もよくみかけますが、「ブラジルコーヒー」や「モカコーヒー」などと付けた店名はなかなか見かけません。
 コーヒー豆輸入の戦前のピークは、昭和12年の約8000トンであり、東京都内でも喫茶店が増加し、庶民にもコーヒーが親しまれた時期にあたります。しかし、「ブラジル」のみでは「コーヒー」を連想させるにはやや知名度が足りなかったのかもしれません。それで、ブラジル産のちゃんとしたコーヒーを飲ませる店として、「ブラジルコーヒー」という屋号にしたのかな、などということを考えました。
 勝手なことを書きましたが、コーヒーの歴史については、まだまだ勉強不足です。当時の資料を多方面から読みこんだ内容ではありませんので、あしからずご了承ください。
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墨田区本所3丁目
コーヒー 350円 モーニング 400円
朝7時すぎ~夕方 日曜・祝日はお休みのようです
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by matsutakekissa | 2010-12-14 12:57 | 墨田区山 | Trackback | Comments(0)  

銀ぶらの語源

 パウリスタでの話の続きです。会計の際、ポイントサービスのスタンプカードに、「銀ブラ証明書」という文字がありました。
 「あなたは本日、銀ブラ(銀座通りを歩いてカフェーパウリスタにブラジルコーヒーを飲みにいくこと)を楽しんだことを証明します。」

 どこかで聞いたことのある言葉だと思ったら、塩沢槙さん著『東京ノスタルジック喫茶店』にも、浅草の喫茶店「銀座ブラジル」の紹介で、銀ブラという言葉は、銀座でブラジルコーヒーを飲むことからきているという説もあると書かれてあったのを思い出しました。
 前回に引き続き平野威馬雄さんの本から引用させていただくと、「銀ぶらの語源」については、以下の内容でした。
 「銀ぶらということばは、よほど古くからあったらしく、明治の末ごろ、さき頃まで文春クラブの支配人だった当時の新進洋画家松山省三さんの経営していたカフェ・プランタンの常連だった文化人たちによって使われ出したと見るむきが多い。
 毎日ブラブラしているプランタンの連中を銀座ブラと呼び、これがちぢまって銀ブラということばが生まれた・・・と松山さんは云っている。すると銀座のブラはプランタンに集まって何という事もなくぶらぶらしていた連中、つまり、ブラ族をさしているわけで、なにもわざわざ銀座をブラつくという行動をしなくても、すでにあの辺のカフェーでぶらぶらしている人の姿から生まれたと考えた方がいいかもしれない。が、その後、慶応の生徒たちが銀座をぶらつくことに解釈するようになり、今日に至っている・・・。(平野威馬雄 著『銀座物語-街角のうた-』日本コンサルタント・グループ、1983年より引用)
 しかし、この本では狭義での「銀ブラ」は、以下のような意味だったと書かれています。 
ところが、白牡丹の松田信四郎さんに云わせると、とんでもないことになる。
「だいたいぶらつき歩くというのに、わざわざ晴れ着をきたり、りゅうっとした背広姿で、大邸宅のじゅうたんをしきつめた立派な廊下を歩くように、気取ったステップをふんだりするなんてえのは、ぶらつきなどとは凡そ縁遠いことです。(中略)
私の知っている限りにおいて、ほんとうの銀ブラというのは、関東大震災以後あまり見られなくなったようです。(中略)
昔は店の主人も奥さんも老人も子供たちもお店の番頭さんも小僧さんも、店がしまると一風呂あびて、ゆかたがけで、夜店をひやかしたり、橋のたもとの氷屋でぶっかきをたのしんだものです。それがほんとうの銀ブラだったのです。(平野威馬雄 著『銀座物語-街角のうた-』日本コンサルタント・グループ、1983年より引用)。
 つまり銀座に店舗を構える店の関係者が、仕事あけに銀座の町をぶらつくことを、狭い意味での「銀ブラ」と呼んでいたそうです。当時は店の経営者とその家族をはじめ、使用人もみな、住み込みで銀座に住んでいたのが、震災後は郊外に引っ越してしまい、住み込みの使用人たちも通いになったため、そのような習慣も消えてしまったそうです。
 筆者は、この定義を「生粋の銀ブラ」と呼んでいて、さらにショッピング目的でぶらつくのも、銀ブラではないようだ、と綴っています。フトコロは小銭程度で漫然と町全体のふんいきに酔って歩く・・・というのが、銀ブラではないだろうか、とのことでした。

 さて、ほんとうの銀ブラ、自分にはできるでしょうか。カネ稼ぎと時間に追われ、あくせくすることに慣れきっていて、突然ゆったりしようしても、できるものではありません。スローペースになれるのは身体を壊して風邪を引いた時くらいのものでして、身体を休みやすみ使わなければ動けない事態になってはじめて、自然とゆったりできるのかもしれない。え、それじゃゆったりじゃなくて、ぐったりだろうって? 「いやし」も「ゆとり」もまだまだ縁遠いこの頃です。
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by matsutakekissa | 2010-12-08 12:36 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)