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カフェー・パウリスタのこと

 ブログからはこのところ、遠ざかっていました。ひさしぶりに書きましたが、まだるっこしい表現だらけです。
 半年以上前からあたためていたこの記事も、ずっと寝かせたままでしたが、あんまり時間が経ってしまうと、気持ちは冷めてしまいますね。

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 銀座8丁目のカフェーパウリスタ。コーヒーの味を一般大衆に広めた明治創業の老舗喫茶店で、一度は行っておきたいと思っていたものの、店がまえで敷居が高く感じられ、これまで入らずじまいでした。
しかし「銀座の詩情」という本を読んで、ようやく心が動きました。コーヒー豆がまだ珍しかった明治時代、パウリスタでコーヒーを飲んだ時の感動を作者は伝えています。

「それまでコーヒーといえば角砂糖の中へ豆をこがしたような粉を少しばかり入れたのをよろこんでのんでいた連中が、はじめてコーヒーらしいコーヒーにありつけたのは、パウリスタのおかげといっていいだろう。
(中略)ブラジルコーヒーのストレートを一杯五銭でたっぷりのませた。ぽってりとした分厚な白陶のカップに星と女神の正面顔がマークとしてついていた。あのマークはいまも眼底にこびりついている。(平野威馬雄「銀座の詩情1」白川書院、1975より引用)
 パウリスタが当時としては破格の値段でコーヒーを提供できたのには、ちゃんと理由があったそうです。
ブラジル移民のお礼にと、ブラジル政府からコーヒー豆が定期的に贈られ、日本各地にブラジルコーヒー宣伝販売所が開店し、極めてリーズナブルな値段で本格志向のコーヒーが提供されたということですが、先ほどの「銀座の詩情1」にも、同様の内容があったので、抜粋します。

「本場の香高いブラジルコーヒーをなぜあんなに安くのませてくれたのかというと、創設者の水野竜という人の人徳のいたすところだったのである。ブラジル邦人珈琲園開拓の大恩人としてブラジル政府からお礼のイミで年間一五○○俵の珈琲の無償提供を受け、日本でのブラジルコーヒー宣伝のためにカフェー・パウリスタをはじめたのだ。だからドーナツまで添えてただみたいな値でのませてくれることができたのだ。」
(平野威馬雄「銀座の詩情1」白川書院、1975より引用)
 銀座店が開店したのは明治44(1911)年。その後、一時中断を経て、昭和45(1970)年、店舗の営業が再開されたそうです。戦後すぐの文献では、喫茶店としてのパウリスタの文字は見当たらなかったので納得がいきました。

 朝の遅い銀座では、8時半開店のパウリスタはえらく早起きの店に見えます。ドーナツって今でもメニューにあるのかな、と期待しながらドアを開けました。
入ってすぐに解放感を感じたのは、天井が高いからだと後から気がつきました。よく見ると、席数は想像したよりも少なめで、意外とこじんまりしていました。全国紙、スポーツ紙ともに、新聞が各種揃っているのも、うれしい驚きでした。
 残念ながらメニューにドーナツはありませんが、マフィンは各種揃っています。ただ、せっかくなので、モーニングサービスを試してみることにしました。注文して間もなく、ミニサラダと、スターターのオレンジジュースが先に出されました。ジュースはフレッシュで香りがよいのがさすがだなあと思いました。
 セットのコーヒーはお替わり自由で、普段自宅で淹れるコーヒーの数倍、香り高く感じられました。自称味オンチの自分が、ふつうに飲んで美味いな、という味です。スターターのオレンジジュースも香り高く、フレッシュな味わいでした。トーストのパンは、厚切りのふわふわ。カットされたパンは皿に山盛りで、バターとジャムが添えられました。
 ゆっくり貫ぎたいところでしたが、用事を控えていたため時間に余裕がなく、滞在わずか30分たらずで、名残惜しく店をあとにしました。いつもながら、気ぜわしいなあ・・・。
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by matsutakekissa | 2010-11-26 10:30 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)