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喫茶店関連の本を読みました

 ご無沙汰しております。ようやく涼しくなってきて、何かに集中するにはよい季節となりました。
 今年春頃に書いた「喫茶店関連本」の記事ですが、取り上げた本は二冊とも上梓されていました。
 急いで、読書感想文を下記に書いてみます。

 泉麻人さんの「東京いつもの喫茶店」(平凡社、2013年8月刊)。版元のHPを閲覧していたのに、上梓には気づかず、秋になって、掲載店の喫茶店のひとつで、刊行を知りました。
 東京を中心とした喫茶店と街と人の姿を、街歩きを得意とする泉さんならではの文体で描かれています。街の歴史と独特の雰囲気が、喫茶店というフィルターを通して伝わってきます。泉さん個人の視点で書かれた文章のはずがいつの間にやら感情移入してしまうのは、かつて自分が訪れた時感じた街や喫茶店の印象と大きく重なっているからなのかもしれません。
 喫茶店の店主や常連客がさらりと発したことばからは、今現在を象徴した時代も語られていますが、数年後に読み直した時、今とは違った感想が出てくると感じました。
 挿絵のペン画とともに、章扉に挿入された消しゴムハンコ(?)らしきコーヒーカップやコーヒーミルのイラストも、手づくり感があってほのぼのします。
 街を歩いた時、喫茶店に入るのもいいかもしれないな、というきっかけづくりになるような本です。

 山之内遼さんの「47都道府県の純喫茶」(実業之日本社、2013年11月刊)。こちらは「純喫茶保存協会」というタイトルのブログを書いている会社員の男性の単行本です。
 いわゆる、「ブログ本」ではありません。著者の職業はコピーライター。コンパクトにまとめられた文章から、プロとしてのこだわりと喫茶店への愛情が感じられました。
 その土地で長く愛され続けてきた喫茶店を各都道府県ごとに取り上げていますが、各店舗の多様性はまるでご当地グルメのよう。
 喫茶店に付けられた名前の由来にはじまり、常連客にまつわる話、マスターやママさんの若かりし頃のエピソードなどがうまくまとめられていて、なんとなく店の雰囲気や旅情も伝わってきます。
 ブログの書籍化のお話は、以前訪れた喫茶店にて偶然店の方からお聞きしていて、上梓を楽しみにしていました。取材・執筆・撮影をおひとりで、しかも処女作とは思えないくらいにうまくこなしていると思います。
 いつか、遠くを旅する時、この本に載っている喫茶店がまだあれば訪ねてみたいものです。

 最後に、この二冊の本の共通点について。
 書名の背文字と表紙が手書き文字(泉麻人さんの本は前作「東京ふつうの喫茶店」のみ。今作はフォントです)。
 ソフトカバー、判型サイズが同じ。
 サブタイトルに「今」を感じさせる。
 著者はいずれも東京都出身、在住の男性。

 書名の文字は、やわらかい印象を与える手書き文字です。敢えて手書きにしたのは、喫茶店のもつイメージや書店店頭で目をひくようにとの意図も込められてのことでしょう。

 ソフトカバーや判型は持ち運びしやすさやコストを考えてのものだと思います。内容は濃いけど、本の重量はとても軽い。

 タイトルが目を引くためのものなら、サブタイトルはタイトルの補完と本音を表していると思います。泉麻人さんの本は「散歩の途中にホットケーキ」です。巷で流行りのホットケーキにあやかってのタイトルかと思いましたが、ホットケーキをメインにした喫茶店はわずか2店舗。たまにはホットケーキ専門店だけではなく、ホットケーキを食べに喫茶店を訪れては?というメッセージなのかもしれません。
 山之内遼さんの本は「愛すべき110軒の記録と記憶」。掲載数の多さをアピールすると同時に、「今現在」(最終確認年月が2013年9月)の喫茶店の姿であることを断り書きとしているように思われました。掲載店のいくつかは編集作業中に閉店となっています。残念ながら純喫茶は現在進行形で少しずつ消えつつある文化、期間限定の姿です。この記録を少しでも残すためのプロジェクトとして単行本化したのでしょう。

 東京在住という地の利は大きなものです。情報収集も有利です。しかし、あまりに情報が飽和しているのに辟易して、お二人とも地方の喫茶店を取り上げているのかもしれません。情報にさらされていない、魅惑の土地に期待を抱いて。
 しかし、東京在住は地方へのアクセスも有利なのです。地方出身の私としては、東京→地方、地方→東京、のアクセスは比較的簡単でも、地方→地方へのアクセスがいかに面倒かは身を持って知っています。たとえマイカーで全国各地を巡ったとしても、車では旧道や旧市街の路地に潜む喫茶店をきっとすべて探しきれません。お二人がともに地方の喫茶店を取り上げることができるのは、東京の地の利ゆえなのです。

 この後も静かな喫茶店ブームは続き、関連本の出版もあるでしょうか。楽しみです。
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by matsutakekissa | 2013-11-11 10:53 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

十年後

 十年、二十年後に今の自分を振り返ると、「あぁ、喫茶店に夢中になっていた頃ってあったなあ」とか云うのだろうなあ。
 十年前、ひそかにすごいなあと慕っていたカフェ・喫茶店好きの先輩(勝手にそう呼ばせてもらいます)がいました。好きが高じてカフェの本をつくり、カフェを運営し、カフェイベントを行うなど、精力的に活動されていた方でした。今はお休みされているそうですが。
 もしその方にお会いできたとして、今、カフェや喫茶店についてどう思いますか?と聞くと、自分の中では終わった出来事だからと云われるのかもしれません。

 自分の好きな昔ながらの喫茶店は年を追うごとに少なくなっていきます。十年後はもっと少なくなって、今はまだそんなに時間の経っていない店も、老舗と呼ばれる店になっていくのでしょうか。とすると、この道楽は期間限定の、今だけのおたのしみなのでしょうか。刹那的な懐古趣味。
 今だけのおたのしみと割り切って楽しんでいた時期も過去にはありましたが、今となってはむなしいです。



 このブログに書いた喫茶店の閉店状況、この1~2年間ほとんど更新していません。どうかご了承のほどを願います。
 あまり出歩けない状況でも昨年(2012年)での閉店を確認したのは銀座のニューキャッスル、向島のエデン、北千住のみゆき、京橋のイコイでした。しかし、ブログに書いたのは最後の1軒だけですが。この間は田原町・みちの閉店も確認しました。そのほか、まだまだたくさんあるのでしょう。

 古くからあるものは少しずつ新しいものへと、とって代わります。以前、平成生まれと思われる若者が浅草の蔦だらけの銭湯を指さし、ショウワ、ショウワと連呼しているのを目にして、あぁ、平成も二十数年を過ぎてから、昭和がこのように云われるのだなあと実感いたしました。

 ところで。昭和の世代って長いですよね?戦前のひとケタ代、終戦直後の二十年代、三十年代、四十年代、五十年代、六十年代生まれで、生活環境も価値観も文化も大いに違うのは明白です。ひとくくりに昭和といってもいろいろ、それこそ、日比谷公会堂の喫茶室のコピーを拝借すれば激動の昭和というやつで、まだまだ懐古にはほど遠く、複雑な思いがいたします。
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by matsutakekissa | 2013-02-05 07:02 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

ムニャムニャせんべいと馬目焼

 昨年(2012年)12月10日、小沢昭一さんが亡くなられました。近年興味を持ち、多方面にわたる彼の業績のほんの一部にしか触れていない自分でも、小沢さんは仰ぎ見るような存在の人でした。役者としてだけではなく、研究者としても一流の方でした。お元気な頃のこともよく知りたかったし、残念でなりません。

 訃報を知る一週間ほど前に、小沢さんが愛していた羽田は穴守稲荷の煎餅を予約しようと電話してみたものの、12月のため既に予約で一杯でした。
 小沢さんはかねてより煎餅好きを公言し、著書やラジオでも度々そのことを取り上げておられました。穴守稲荷の煎餅はラジオ「小沢昭一的こころ」のシナリオを元に制作された単行本で知ったものです。

 単行本の章見出しは「ご意見無用、関東塩煎餅仕入れ旅」。塩煎餅。はじめは塩をまぶした煎餅と思い込んでいましたが、読んでいくとしょうゆ味の煎餅のことを塩煎餅と呼んでいるのだとわかりました。小沢さんが日ごろ食べ歩き探し歩いた煎餅のなかで、特に気に入っているものを紹介されているのですが、ご自身の幼い頃の思い出や色っぽいお話なども交えつつ、面白おかしく書かれていました。

 穴守稲荷のせんべいは江戸の後期創業、地元では有名な老舗煎餅店ですが、手焼きで代々家族が焼いているため大量生産ができないそうで、その単行本では、「ムニャムニャ煎餅」とぼかした表現になっていました。しかし情報氾濫の時世、特にグルメの類は詳細な情報がネットで手に入ってしまいます。
 現在は電話の予約注文でのみ受け付けていて、その後店舗へ赴いて購入するという、手に入りづらいおせんべいになっているようでした。
 昔の東京に詳しい方にその話をしたところ、その煎餅のことをよくご存じでした。「懐かしい。母が穴守稲荷の帰りによく買っていて、戦前の穴守稲荷は浅草よりも賑わっていた場所だったと言っていた。昔は普通に店頭で買えたものですが」とのこと。

 そののち、電話予約をして、何とかとうとう手に入れました。擬宝珠の形をした、うすやきのしょうゆのおせんべい。お米の粒をあえて少し残していて、しょうゆとのマッチングが香ばしく、くせになります。どこにでもあるようで、どこにもない味のおせんべい。なかなか食べられないからこそのありがたみを噛み締めつつ戴きました。

 さらに数年後。ある晩のNHKで、あの擬宝珠のおせんべいの映像が目に飛び込んできました。そうか、とうとう全国で映像が流れてしまったか。番組テーマである「散歩」という言葉はあくまで表向き、ち密な調査とロケハンの成果の上に成り立つ東京の知られざる一面を深く掘り下げている優良番組なのですが、せめて吉原と穴守稲荷の回だけは、ぜひ【特別篇】「ブラ小沢」でやってほしかった。いちファンとして勝手なことを考えました。

 話が長くなりました。しばらく羽田の煎餅は食べられそうにないので、代替品を買いに西新井大師へ行くことにしました。こちらも前述の単行本で知った西新井大師の門前に店を構える「浅香家」の馬目焼です。本によると、ウバメガシの備長炭で焼かれた登録商標の名物「馬目焼」は、超堅焼のおせんべい。焼く前の生地は塙団右衛門が使った刀のツバみたい、という比喩表現がなされていました。
 年末の大師前は嵐の前の静けさでした。寅さん映画が流行る前の柴又の門前の雰囲気ってこうだったかもしれないと思わせる風景が広がっています。煎餅屋も団子屋などの店舗数は新井薬師や川崎大師に比べて小規模ですが、観光名所しすぎていないのがいいな。
 浅香家さんの店先ではおせんべいを焼く姿がみられました。デイサービスを利用中の車いすのお年寄りが付き添いの女性と共にせんべいを選んでいたり、お年賀用か箱買いのお客さんがいて、地元の人に愛されているようです。
 馬目焼は一枚210円でしたが、小沢さんの著書によると大人の男のごはん茶碗一杯分の米を使っていて、これ一枚で腹がくちくなるそうです。もう一つの一押しは唐辛子を練りこみ、表面にざらめをまぶしたおせんべい、3枚で210円。このほかにも色々な種類があり、廉価なものでは小さめのしょうゆ味のおせんべい4枚で105円からあるので、食べたい分をちょっとだけ買うにも便利な価格設定なのがうれしいです。

 せんべいを買って、もう一足のばしました。先輩ママ友(と呼ばせてもらっていいのか)から教わったパン屋が大師の先にあるからです。TES Familyという変わった名前の店。大師前の門前からは徒歩10分ほどでしたが、住宅地の公園の近くにあるため、地元民でないと、偶然にもたどりつくのは難しそうでした。道はわかりやすく、大師の門前を出た大通りを西にまっすぐ歩いて、ロイヤルホストの裏手の公園の隣にあるとのことでした。
 果たして無事にたどり着けるかどうか、道中は少し不安でしたが、ログハウス調の一軒家を見て安堵しました。「喫茶とパン」と書かれた看板があり、店内はパンの焼き上がるいい匂いが漂っていました。
 パンはテイクアウトもイートインも可能です。彼女に教わった「2階で食べると眺めがサイコウ」という言葉を思い出して、調理パンのいくつかをテイクアウトしてもらい、オリジナルブレンドのコーヒーとパンのセットを注文して2階へあがりました。
 パンは温めて出してくれました。人気のジャーマンポテトドッグはたっぷりの具材が詰まっていて、お得感がありおいしい。コーヒーは自家焙煎だそうで、よい香りと味でした。大きくとられた窓からは冬の日差しが差し込んできて、目の前の公園の木々がよい借景です。鳥のさえずりも聞こえてきて、部屋の中なのに、外にいるような感覚でした。こんなカフェだったら自分でも入れます。教えてくれた彼女に多謝。

 後で店の方に伺ったところ、店は4年前に移転オープンしたそうで、以前は今の場所から公園を挟んだ向かいに店があったそうです。前の店の模型が2階に飾られていて、イスやテーブル、レジのカウンターや照明の一部も以前からのものを使っておられるそうです。今のお店、決してこじんまりしているとは思わなかったのですが、店の方は「前はもっとずっと広かったのよねぇ」と少し残念そうに話しておられました。

パン1種類、コーヒーとセットで500円でした。12時からのランチセット、パン2種類とドリンクセット700円がありました。
足立区西新井本町6丁目
日、月休
足立区の公社ニュースときめき2009年の号に記事が掲載されています。店は山小屋をモチーフに作られたと書かれていますが、2階席の奥にピッケルやかんじき、ランタンが飾られていたことを思い出しました。
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by matsutakekissa | 2013-01-28 15:46 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

陶器のペア猫

 
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陶器店の店先でペア猫置物が売られていました。喫茶店でよくみかける陶器の猫ではないか。値段を見たら千円ちょっと。また家に余計なものが増えるかな、と一瞬迷いましたが、買うことにしました。
 店の方に話を聞くと、瀬戸物のロングセラー製品で、20年以上前から販売している。3年前はあまり出なかったが、この1年はまた人気が出てきたとのことでした。
 日本ビクターのトレードマークである、ニッパーの置物のようなものかなあ。

 家に帰りネットで調べてみると、自分が購入したのと同じ製品が普通に販売されていることがわかりました。ただし、昔に製造されたものは骨董品としてのあつかいで、値段も上がっています。
 てっきり入手困難なものと思い込んでいたので、とても意外でした。
 猫たちは大きさ、彩色、表情が少しずつ異なっても、2匹が仲睦まじく寄り添っている姿だけは同じでした。この愛らしさとフォルムの美しさが、長く支持を受ける理由のひとつなんでしょうか。
 


 
 
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by matsutakekissa | 2011-12-31 15:07 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

町をあるく口実

 知らない町を歩くのは好きですが、ただやみくもに、しらみつぶしに回るのはノルマのようで疲れます。町を歩く動機づくりとして、以前、試したことのひとつをここに書いてみます。

 きっかけは重盛栄信堂西小山支店で購入したカステラ焼でした。それをお土産として渡した先で、「えらく昔っぽい型だね」と言われてしまいました。
 改めてよく見ると、ピストル、戦車、日章旗、鉄帽らしき形をしたカステラばかり。戦前の型?おまけに外装には未だに目蒲線と印刷されています。他の支店もみんなこんな形なのでしょうか? それを確かめようと支店めぐりをすることになったのです。
 重盛人形焼の黄色い包装紙に印刷された支店の住所を見ると、その多くは、ちょっと微妙な場所にあります。西早稲田に金町、成増、中延、南千住に三河島・・・・・・。渋谷、新宿などのターミナル駅ではなく、都内各地の商店街に店を構えているようです。
 その結果、あの不思議な型を使う支店は、自分の知るかぎり西小山と人形町の本店にしか見当たらず(全部の支店をまわっていないのであしからず)、またカステラ焼そのものも取り扱わない支店があったりと空振りに終わることも少なくありませんでしたが、これを口実に知らない町を歩くのは目新しさがあり、当初のおめあてがなくても充分楽しめたのです。

 たとえば、練馬区にある富士見台支店を訪れたときのこと。こちらの店舗にはカステラ焼ではなく登り鮎がありました。富士見台駅から、商店街を抜けていくとやがて住宅街に入ります。大きな公園を抜けたあたりまではよかったのですが、地図を見ずに歩いていたため、だんだん心細くなってきました。
 住宅街から再びぽつぽつと商店が混ざり始めたあたりに、古めかしい外観の喫茶店がありました。窓と入り口ドアにはカーテンがかかり、オレンジ色の灯りがちらりと見えました。道には迷っていましたが、あまりためらわずに中に入ってみました。
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 店内にいたのは店のおじさんとおばさんのみでした。テレビの音だけが静かに流れていました。
 赤と紺のビニールレザーの椅子が交互に並び、それと反対色の座布団が置かれ、背もたれにはレース調のカバーがかけられています。こういうディテールが乙女心をくすぐるとでもいうのだろうか。身の回りにひそむ可愛いモノに鈍い自分ですが、これには思わずみとれてしまいました。
 椅子もテーブルも床のリノリウムも古びてはいたのですが、手入れがきっちりしていたのが印象的でした。カウンター席が荷物置き場、なんてことも、昔からの喫茶店ではよく目にしますが、それもありません。
 ランチ終了時間きっかりになると、表に出してあったメニューの看板が下げられていました。しまった、食事も頼めばよかったなあ。
 店を出てしばらく歩くと、隣駅の商店街のはずれに出ました。歩かなければこのような駅と駅の間にある喫茶店に出会うこともなかったなあ、と賑やかな通りに出てから思いました。

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 話は再びカステラ焼に戻ります。最近になって、東京の手土産紹介本『東京手みやげ逸品お菓子』(料理通信 編集、河出書房新社、2009)を読んだところ、人形町の板倉屋に戦時焼という名物があるのを知りました。
 添えられた写真には、重盛の人形町や西小山の店で見たカステラ焼と同じ形の商品が写っています。
本によれば板倉屋の創業は明治37年で、戦時焼はその頃からの名物だそう。ちなみに人形町の重盛栄信堂の本店創業は大正6年です。いえ、別に元祖探しをしているわけではありませんが。
 さっそく、板倉屋を訪れてみると、店先には名物・人形焼と書かれた暖簾がかかり、奥では職人さんが働いているのが見られました。その他瓦煎餅系の甘い煎餅も置いてあり、商品展開は重盛とほぼ重なることに気が付きました。
 間口の狭い店ですが、有名店なのかたくさんの色紙が並べられていました。カステラの輪郭はこれまでに買った店より形がよく浮き出てはっきりしています。大量生産をせず、丁寧な仕事をしてややいい値段を付けることが、他店との違いのように思われました。
 それにしても、こんな型のカステラに出会うとは思いもよりませんでした。ざっくり言うと語弊があるけど、東京って面白い町だなあ。かつて反戦運動がさかんだったころなど、このお菓子に対する逆風もあったのかもしれませんが、そこでやめないでいたからこそ、今では貴重なものとなっているのでしょう。b0158023_12212613.jpg


ローリング 練馬区貫井
ホットコーヒー 350円 ランチ各種 700円~
※ローリングは既に閉店との情報をいただきました。【2013.2】カステラ焼(袋詰め)の値段(2011年冬~春頃、うろ覚え)
※個数は店舗によって異なります。
重盛栄信堂 西小山支店
260円・500円
重盛栄信堂 総本店
600円~
板倉屋
400円~
 
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by matsutakekissa | 2011-11-10 21:40 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

パン キムラヤ 茅場町

 都内各所に「キムラヤ」という名前のベーカリーは存在します。あんぱんで有名な銀座の木村屋総本店から派生しているのかは分かりませんが、何か関係はありそうです。その他、和菓子屋の「伊勢屋」とか、中華・洋食の「三好弥」なんかもいろんな所で見かけるので、気になる名前です。
 
 茅場町のキムラヤでは、早朝からパンと弁当を販売しているため、近場のオフィスで働くお客が次々と入ってきては、ドッグパンやサンドイッチを買っていきます。
 奥には4、5席ほどのカウンターがあり、イートインスペースになっています。買って帰るだけなら、何の躊躇もないのですが、あの席に座るのは難しそうでした。どうやら、そこに立ち寄るサラリーマンは、ほぼ皆顔なじみの人ばかりのようで、席が空いているタイミングでないと、「飲んでいきたいのですが」の一言が言いづらい。
 でも、ある日の朝、思い切って、声をかけてみました。レジ担当のおばさんは「コーヒーでよろしいでしょうか?」と聞きました。コーヒー以外の飲み物はほとんど出ない(あるいは出してない)のかもしれません。
 奥の厨房に向かっておばさんが声を掛けると、鼻歌まじりのおじさんが登場し、コーヒーを淹れてくれました。
 カウンターの席に座りました。こちらにもドリンクのメニューは特になく、キーコーヒーの保存缶とブルックボンドの紅茶保存缶が、棚に載っていました。
 「スポーツ紙しかないですが、どうぞ」とおばさんが新聞を置いてくれると、「こっちのほうがいいんじゃないか」と、おじさんのほうが女性週刊誌を出してくれたり、などと、色々と世話を焼いてくれます。おじさんは人好きのするタイプで、常連客と会話をかわしたり、自分にも話しかけてきてくれて、緊張の糸がようやくほぐれました。
 一通りの作業が終わると、おじさんは調理の続きがあるのか、奥へ引っ込んでいくのですが、新たなお客が来ると、また、鼻歌をうたいながら登場。それにひきかえ、おばさんはレジ担当なので、客がいてもいなくても、ずっと入口近くのカウンターに立っています。そして、計算も速い。商品の値段をすべて憶えているようで、暗算で合計金額を出して、お客をさばいていくのです。こういう連携プレーを見ているのは、なんだか楽しい。こちらは喫茶店ではないのですが、それに似た雰囲気がありました。慌しく食べて飲んで帰りましたが、充実したひとときでした。

コーヒー 250円
サンドイッチ、惣菜入りのドッグパンは160円くらいからでした。
中央区日本橋茅場町3丁目
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by matsutakekissa | 2011-10-13 21:44 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

あたらしい出会いをもとめたけれども

以下、ねむたい内容で、だらだらと書いています。オチらしいオチもありませんが、ご容赦を。

 週末の半日を使い、スカイツリー周辺をゆっくりと散歩することにしました。浅草から押上、八広まで歩き通すつもりで、アサヒビール本社の前から出発。
 この日は天気がよかったのですが、ツリー見物の人出がやや減ったように感じました。もちろん建設前と比べればずっと多いのですが。道路も混雑が緩和されていて車の流れはスムーズでした。
 清澄通り沿いにある喫茶『珈生園』に入りました。観光客や地元の人がきっといると予想していましたが、他のお客はだれもいませんでした。
 ホットコーヒーに生クリームを落としてもらい、さらに自分でコーヒーミルクと砂糖を入れてダブルミルクコーヒーを楽しみました。涼しくなると、こってりしたコーヒーがおいしく感じられます。
 会計時、マスターから「ツリー見物ですか?」と訊かれ、少し立ち話をしました。
 「なんか人出が減ったような気がするけど、どうですか?」と尋ねると、震災以降は全然ダメ、とのことでした。すでに大方の建造が終了し、これ以上塔が高くならないから客足が減少したかと想像していたのですが、影響は今も続いているのでした。
 その後話題はスカイツリーに移りました。
 「けっこうしますよね、入場料3000円でしたっけ?」「いいえ、予約で500円かかるんですよ。だから3500円です」
 びっくりしました。予約券って、ふつう入場料より割引されるものではなかったっけ?それとも、開業記念のお土産でもつけてくれるだろうか?
 「地元の人はタダで招待、ってのはないんですか」と訊くと、「ないない」と苦笑いしておっしゃいました。地元の商店街の物価と入場料とを比較しても、ちょっと落差が大きい気がする。六本木ヒルズと麻布十番商店街のような相乗効果があればいいけれど、どうなんだろう。

 四ツ目通りの交差点を通り過ぎ、そのまま大通りを進んで十間橋のたもとまで来ました。ここは有名なツリー撮影スポットでした。橋の上の通路は面白いことになっていて、一方は観光客ばかりで、もう一方は地元の方ばかりです。なぜなら、スカイツリーに近い方で撮影をするためで、通路がふさがれていて、反対側は地元のおじいさん、おばあさんたちが通り過ぎていくのでした。
 十間橋通り商店街は、通りの裏手にあるキラキラ橘商店街とは異なり、いたって静かなものでした。閉めている店舗が多いこともあり、普段ならやかましく感じられるパチンコ店の音すら、あってよかったと感じられるようなBGMに聞こえます。賑やかな方へ行っておけばよかったかと思いましたが、すでに閉店した商店の看板のみがそのまま残るさびれた風景を眺め歩くのも、なかなか悪くはないと思いました。よく見れば最近開店したと思われる新しいカフェやそば屋さんもありますが、古い建物をそのまま使っているため、知らなければそのまま通り過ぎてしまうような感じです。

 明治通りと合流する通りに入りました。ここへきてようやく、大回りをしていることに気づき、ひたすら早歩きになりました。京成曳舟駅の踏切を越えてすぐの交差点を右折し、北東へ進むと周辺の風景は郊外らしくなり、店舗も国道沿いにあるような大型店が進出しています。ただ、途中で見かけたガソリンスタンド名は「寺島町」という旧町名が使われていることに気が付きました。道路沿いには、それほど距離をおかずに公園が3つもあるので、不思議に思いながら通り過ぎました。
 八広駅に近い交差点で左折し、水戸街道近くのコーヒー&ラーメンの店『フクトミ』の看板が見えてきました。やれやれ、ようやく目的地です。
 前回、夏の暑い日に訪れた時はアイスコーヒーしか飲む気になれなかったので、涼しくなったらラーメンを食べに行こうと思っていました。イス10席の小さな店内ですが、メニューはヤキメシ、ラーメン等の軽食にコーヒー、ソーダにこぶ茶などのドリンクメニューが揃っています。
 ここまで一気に歩いてきたので、やや疲れていたのですが、お店の方には寒そうな顔に見えていたようで、「食べればあったまるわよ」という声とともに、どんぶりがさし出されました。
 帰り際、コーヒーとラーメン、どちらをメインで営業しているのかを聞こうと思いました。「看板にコーヒー、ラーメンとあるのですが」と尋ねると、質問の仕方が悪かったのか、「コーヒーとラーメンの間に点があるでしょ」という答えが返ってきました。ええと、そうではなくて、コーヒーとラーメン、どっちがメインでやっているんでしょうか?と改めて尋ねると、うちはもともとラーメン屋です、とのきっぱりとした返事が返ってきました。出前注文が多かったので喫茶メニューを加えたとのことでした。
 そう言われて店内を見渡すと、厨房には中華なべやフライパンが複数掛かっているし、お冷はいただいたけど、灰皿は出てこないことに気が付きました。
 店を出た後、東向島の商店街にも中華料理なのにコーヒーも出す店があることを思い出しました。喫茶店で軽食メニューとしてラーメンを加えた、という答えを期待していましたが、あてが外れてしまいました。勝手に想像した自分が悪いのだけれど。ドリンク注文だけでもOKだったので、自分の解釈にとどめておけばよかったかもしれないと、聞いてしまったことをすこし後悔しました。
 いろは通りを通って東向島駅に向かっていくと、玉の井という名が入っている店舗を目にしました。自分にとって「たまのい」という響きで連想するのは「タマノイ酢」であって、お雪さんの出てくるあの小説ではありません。「あぁ、ここがかの舞台の地か」という感慨深い気持ちになれないのが残念なところです。
 商店街のなかほどには確かシベリアを売っている古びた店があるはずでしたが、見当たりません。何度かいったりきたりして、建物のあった場所が更地になっていることに気付きました。
 思ったより新しい発見がなく、このまま帰ってしまうのも、もの足りません。でも、時間もあまり残されていないし、疲れてしまった。電車に乗り込み、浅草へ戻ります。
 喫茶店に寄る時間もないので、大通りを渡ってすぐの裏通りにある珈琲豆販売店「富士珈琲商会」に行くことにしました。珈琲豆にはあまり詳しくなく、普段うちで飲むのはインスタントなので、豆のよしあしや好みなどさっぱりですが、こちらの店は焙煎が浅めの種類があって、あっさりしているように思えます。巷では深煎りでコクのある濃い味が流行りなのかもしれませんが、自分の好きな喫茶店で出されるコーヒーの味に似ているような気がして、好きになりました。
 場所柄、近所の飲食店からの注文が多いようで、豆を挽いてもらう間にも近所の喫茶店の人が品物を取りに来ていました。店のご主人は物腰がとてもソフトで、豆を挽き、袋づめする一連の動作の間、一言、二言おしゃべりしていると、自分もゆったりとした気分になります。
 味とか雰囲気ではなく、店の方の人柄を好きになる=満たされた気持ちになる。これが自分の行き着くいつものワンパターンだと、最後に気が付きました。
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by matsutakekissa | 2011-10-06 12:50 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

純喫茶パールのロケと動画(ウェブムービー)の公開について

 以前当ブログで紹介いたしました、広島の「純喫茶パール」がロケ地として使用されているウェブムービーについて報告します。
 マツダ自動車のスペシャルサイト「SKYACTIV TECHNOLOGY」内では、新型エンジン開発に至る経緯を開発責任者のインタビューを動画で紹介しています。
 動画の内容をより印象づけるため、インタビューと並行して、子どもを主人公にしたストーリーが挿入され、広島市内の風景(広電とその車窓風景、原爆ドームなど)とともに「純喫茶パール」の店内も登場します。
 この動画を見るまですっかり忘れていたのですが、店内の奥に設置された何台ものテレビをうまく演出効果として取り入れていたのが面白かったです。
 動画の公開は確か7月下旬頃からでした。お店の方のお話では、「4月20日から」とお伺いしましたが、震災によるスケジュールの変更があったためか、当初の予定よりも遅れたもようです。
 何はともあれ、楽しみに待っていた動画が公開され、個人的にはうれしいです。

マツダ自動車スペシャルサイト「SKYACTIV TECHNOLOGY」
マツダ自動車のスペシャルサイト「SKYACTIV TECHNOLOGY」内の動画集「HEART OF MAZDA」Episode 1「エンジニアロマン」にて。
※リンク先はマツダ自動車公式サイトトップページです。
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by matsutakekissa | 2011-08-14 23:24 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

「ふつう」であること

 あの3月11日の大震災から1カ月以上が経ちました。

 言葉のチカラ、とはいうけれど、あの震災や津波の惨状、原発事故の映像を目にすると、しょせん口はどんな言葉を発しても、ただのきれいごとだいう気持ちになり、今も虚無感が続いています。電気供給量も少しは落ち着いてきたことだし、そろそろブログを再開しようとして、文字を打ち始めましたが、こんな時、どの言葉も過不足か過剰かのどちらかで、しっくりくる言葉がみつかりません。文字を消しては打ち直し、また消してはするうちに、また1週間が過ぎていきました。

 ただ、この先何が起こるにしろ、生きている限りは前に進むしかないのだとようやく思い至っています。この時のことを忘れることなく、忘れたくないと思った気持ちも忘れることなく、過ごしたいと思っています。

 さて、震災後は普段どおりのマインドをもって生活することがいかに難しいかを思い知らされました。中には自分の頭で考えたというより、みんながやってるから右に倣えと言わんばかりの奇妙な現象もあったりして、そんなものに流されないようにとは思っても、すべての不安を取り除くことはできませんでした。

 会社も相次ぐ仕事のキャンセルでとうとう「出社するに及ばず」と言われてしまい、数日休みになってしまいました。昼間仕事がないからといって、殺気立ったスーパーに買い物には行きたくないし、テレビ報道を見るばかりでは陰鬱になるばかりでした。

 やっぱり、こんな時こそ楽しいことをしよう。計画停電で電車ダイヤが乱れていることもあり、余震があっても、家に帰れるよう自転車か徒歩で行ける範囲内の喫茶店に行くことにしました。

 住宅街のその小さな喫茶店は、営業日が平日のみらしく、ほとんど訪れることができませんでした。周囲のビルに埋もれた古い木造住宅のその店は、本日も近所の常連さんで賑わっていました。マスターと奥さん(たぶん)は出前のピザパイを焼くのに大忙しでした。
 そんなところへ、「今晩にも大規模停電があるかもしれないって、テレビでやってたよ」と、あいさつもそこそこに、近所の方がやってきました。寅さんの映画でいうところのタコ社長みたいな登場です。
 「じゃあ、どんどん焼かなくっちゃね」と、常連のおばさんが、忙しそうなお二人の代わりに返事をしていました。
 この店の日常を知らないので、あまり勝手な断定はできませんが、それでも自分には、普段どおりのように思えました。お店も、御主人も、お客さんも。

 「こんな時だからこそいつもどおりにやっている」というより、「いつもどおりのことしかできないし、それが自分にとってもお客さんにとってもいい(落ち着く)のだからそうしている」ように見えました。
 普段ではありえない時間帯に、めったに行けない店に行くことだけでも、(ささやかかもしれませんが)特別なことでしたが、お店がいつもどおり(のように思えた)ことも加わって、忘れられない印象が残りました。自分が行くお店には「いつもどおり」を過剰に期待していることもあるのですが、普通ではない時にこそ、普通の営みが素晴らしく輝いてみえるのだと、心底そう思いました。
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by matsutakekissa | 2011-04-21 12:57 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

昭和初期・新宿カフェ街

 『琥珀色の記憶』(奥原哲志 著、河出書房新社刊、2002年)という本は、喫茶店好きでその歴史を調べたいと思った人ならご存知の方も多いのではないでしょうか。そして、その本を読んだ後、新宿歴史博物館に足を運んだ人も少なからずいるのではないかと思いますが、私もその1人です。
(以下、昨年春の出来事なので、記憶違いの部分もあるかもしれません)

 本の内容は明治以降の日本の喫茶店史がコンパクトにまとめられた歴史教科書的なものです。また、本の前半では戦後の新宿に存在し、一時代に名前を残した喫茶店「ふう月堂」「青蛾」などが取り上げられています。
 著者は新宿歴史博物館に勤務していた学芸員の方で、どうやら、2000年に開催された企画展「琥珀色の記憶―新宿の喫茶店」がきっかけで、本書の出版に至ったようです。
 史料や写真の中には「新宿歴史博物館蔵」というキャプションが入っているものもあり、実物を見に行きたくなりました。もしかすると、特別展の史料の一部は常設展示されているかもしれない、と期待もしました。しかし、あれやこれやと予定は延び延びで、昨年の春先にやっと訪れることができました。

 博物館は四ツ谷駅から歩くこと10数分で、住宅街の中にひっそり佇む博物館でした。
 常設展示の構成は縄文時代、中世、江戸、昭和、文学作品における新宿となっており、急ぎ足だと15分くらいで見てしまえそうな規模です。目当ての昭和時代だけしっかり見て、他は流してしまおうか。ところが、博物館案内ボランティアの方に声を掛けられ、展示の前半を解説してもらう流れになりました。
 最初は、正直時間がかかりそうで「めんどうだなあ」と思いましたが、決して団体旅行の添乗員のごとき立て板に水の口上ではなく、あくまで展示への理解をサポートするような解説で、思わず聞き入ってしまいました。色々なお話の中では、博物館建設の際に出土した用途不明の地下室の謎に、特に興味をそそられました。

 さて、ようやく昭和の展示にたどりつきました。新宿は関東大震災以降、今のような街に変貌していったそうです。新宿の中心部はもともとは四ツ谷に近いエリアでしたが、震災後は現在の場所に移転しました。震災は人びとの生活圏を東京西部の郊外に移すことになりました。そして、新宿駅は郊外から中心部へ、また中心部から郊外へ移動する人々のターミナル駅として、現在のように発展していったそうです。
 当時新宿駅前にあった店舗の地図には、東京パン、中村屋、二幸、ほてい屋、三越、伊勢丹などの屋号が記載されていて、自分の記憶の中の現代地図と比べてしまいました。
 そして、展示の最後にあったのが、新宿・昭和10年頃のカフェ*街でした。当時のカフェのマッチが、店のあった場所を示す地図とともに展示されていて、当時のカフェの一軒(カフエー麗人館)が模型になっていました。
 模型の前にあるボタンを押すと、ディック・ミネの「ダイナ」が流れ出しました。建物外観はまるで日本家屋の旅館か料亭のようでしたが、店内は西洋風で、ソファとテーブルが並んでいます。2階建の建物の1階部分には、白鳥が泳ぐ池もあり、着飾ったご婦人が殿方とお酒を楽しんでいる様子が表現されていました。給仕の女性は着物姿で髪を結い上げ、白いエプロンを付けていて、こちらも建物と同じ和洋折衷の姿でした。
 全体的に現代の喫茶店というよりはダイニングレストランやカフェバーに近いようで、豪奢な建物を見ると、現代の喫茶店よりも気軽に入れる雰囲気ではないようです。
 75年前の街や人々の風俗はやはり遠い昔のできごとに思えます。実際はそんなに昔々でもないのに、どうしてだろうか。年配者からは、戦前と戦後で街も人も、大きく変わったとよく言われますが、そのせいもあるのかもしれません。

新宿歴史博物館
新宿区三栄町22番地 9時半~17時半 第2・4月 休
(現在工事のため2011年1月末まで休館中)
※『琥珀色の記憶』の著者、奥原哲志さんは、現在、鉄道博物館の学芸員として在籍されているようです(新宿歴史博物館ホームページより参照)
*当時の表記に倣い、「カフエー」という表記もあるようですが、博物館内販売の資料の通り「カフェ」としました。
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by matsutakekissa | 2011-01-18 12:56 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)