思いつき

 この秋、神戸に行ってきました。10年ほど前に住んでいたこともあって、良くも悪くも思い入れの深い場所です。当時は本当に限られた場所にしか足を向けませんでした。今思うと、勿体ないことをしたものです。
 特に新開地や長田あたりは「あの辺はガラが良くないから、あんまりうろうろせんほうがええよ」と、友人からよく釘を刺されました。他人のせいにしちゃいけませんが、新開地や湊川公園周辺は当時の勤め先からも近かったのに、ほとんど足を向けることもありませんでした。
 しかし、今となっては躊躇する理由もありません。あちらには漫画家水木しげるのペンネームの由来となった水木通という町名があるのだし、ようやく行ってみようという気持ちになりました。
 新開地のメーンストリートはきれいに舗装されてはいましたが、人通りは少なくがらんとしていました。ぞろぞろと競艇に向かうオジサンたちの列が続いているくらい。横断歩道には交通整理の人が数人配置されているのですが、人出のわりに大げさというか、やや、ものものしい雰囲気に感じられました。

 せっかくここまで来たので、新開地の老舗喫茶「エデン」に行きました。
 一見さんばっかりでざわついた雰囲気の店を想像していましたが、実際に見たのは常連さんがくつろぎ、会話する、どの喫茶店にもあるおなじみの風景でした。有名店というのは、あくまでも第三者的な評価であり、百聞は一見に如かずであることに、遅ればせながらようやく気付かされました。
 船室に似せて作られたという凝った内装も、創業祝い(たぶん)の鏡の市内局番がひとケタなのも、わざわざ見に行く価値のある店だと思いますが、それに加えてすばらしかったのは、マスターの客あしらいのうまさでした。
 マスターは想像していたより意外と若い方ですが、ご自身の両親以上の齢のお客さんを相手にしていたかと思えば、店に似つかわしくない雰囲気ばりばりの余所者の自分にも、合間合間に話しかけてくれ、誰にとっても居心地のよい空間を創り出す人柄のあたたかさがありました。
 ここをきっかけに、新開地や湊川公園近辺の喫茶店を何軒かはしごしました。パチンコ開店待ちの客が集う「ベラミ」、「コーヒ」と大書した看板が目立つ「小町」、おしぼりとお冷とホワイトパピロが同時に出てきて食堂みたいにだだっ広い「ベニス」など、どの店もそれぞれの個性があり、地元の人に慕われていました。
 
 1年半後、再び新開地を訪れました。この日の目的は入江近くにある喫茶「思いつき」を訪ねることでした。昨年訪れた「エデン」では、神戸の飲食店を紹介した「神戸ぶらり下町グルメ」*という本を拝見したのですが、読んでいて最も印象に残ったのがこちらのお店でした。
 本には文字通り“思いつき”で始めた四人姉妹の喫茶店という紹介とともに店内奥で並んで写る写真が掲載されていました。近隣で働く人たちのためのざっかけない雰囲気の店だとか、海近くという立地条件にも惹かれました。b0158023_21155550.jpg
 阪神高速の橋げたの下を通り過ぎ、陸橋を渡っていくと雰囲気が徐々に変わってきました。船工具という看板のかかった工場が数軒ありましたが、意外にも町なかは眠ったように静かです。
 看板が出ていなければ民家として通り過ぎてしまうようなひっそりとした外観でした。
 そっとドアを開けると、おばあさん2人がテレビを観ていて、このお2人が店の方たちでした。
 店中央の大きなテーブルを勧められましたが、窓際のつくりつけのテーブルのある席を希望して座りました。昔の駅の待合室の椅子に座ったような感覚で、反対側の窓ぎわにすえ付けられた大きな液晶テレビを観賞する格好となりました。デラックスな感じ。
 椅子にしばらく座っていると、床の部分は入口に向かってなだらかな傾斜になっていることに気付きました。この理由について伺うと、掃除のとき水はけがよくなるように、つまり「楽をするため」なんだそう。

 本の掲載を見てこちらへ伺った旨をお伝えすると、いろいろな本やテレビで紹介されたのだと、お2人はかわるがわる、店について、お話を聞かせてくださいました。
 最近うれしかったのは神戸新聞への掲載だったそうで、今では珍しくなった葉っぱの模様が入りの窓ガラスをうまく切り絵に再現してくれたと、記事の切り抜きを見せてくれました。実際の窓ガラスをよく見てみると、なるほど、凝っています。自分たちはずっとあたりまえに使っていたものだけど、珍しがってやってくる人たちは目のつけどころが違うなあ、よく気が付くとおっしゃっていました。

 建築や美術に関心のある若い人たちを連れて、お孫さんが店にやってきたこともあるのだとか。店内はもちろん、店奥のお茶の間など住居部分までお宅見学されたそうです。「建もの探訪」みたいな様子を想像しながら、さまざまな人が興味をもち、わざわざここに訪れてきているのだと感慨深い気持ちになりました。

 お茶するという本来の目的以外で訪れるお客さんも増えた近ごろですが、元々は近隣にあった造船所神戸ドックで働く工員さんたちの利用が多く、椅子に座るような暇は片時もないほどだったとか。
 肉体労働の彼らには、ケーキやお饅頭が飛ぶように売れた、と今は置き物などを入れてあるガラスケースを指さして教えてくれました。今自分が座っている窓際の席もそれぞれ、常連さんの間でお気に入りがあったらしく、背もたれに当たる部分の板は塗装が剥げていました。板張りの椅子は昔は畳敷だったそうで、造船所の人たちは作業服の油で汚れるからと、新聞紙を敷いて座っていたのだとか。「汚れても構わなかったのになあ」と言いながら、気を遣っていたお客さんのことを話してくれました。
 喫茶店を始めた頃は20代で、それから50年以上が経ったけれど、今思うとあっという間だったと、お2人は昔の思い出を神戸弁で、時には冗談を交えつつ話してくれました。

 「エデン」と「思いつき」、この2軒の店に共通していたのは、内装が船大工の設計ということと、地域の人に愛されながらも、初めての人間でも分け隔てなく迎え入れる懐の広さでした。b0158023_21152871.jpg
神戸市兵庫区西出町
コーヒー 310円
お昼過ぎ2~3時までの営業とのことでした。
*神戸の昔の面影を切り画とともに紹介するコラム(正確なタイトルは忘れました)。2010年10月か11月頃の掲載だったと思います。
**柴田真督 著「神戸ぶらり下町グルメⅡ」神戸新聞総合出版センター、2007年。
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by matsutakekissa | 2011-11-30 08:25 | 旅編(東京都以外) | Trackback | Comments(0)  

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