「ふつう」であること

 あの3月11日の大震災から1カ月以上が経ちました。

 言葉のチカラ、とはいうけれど、あの震災や津波の惨状、原発事故の映像を目にすると、しょせん口はどんな言葉を発しても、ただのきれいごとだいう気持ちになり、今も虚無感が続いています。電気供給量も少しは落ち着いてきたことだし、そろそろブログを再開しようとして、文字を打ち始めましたが、こんな時、どの言葉も過不足か過剰かのどちらかで、しっくりくる言葉がみつかりません。文字を消しては打ち直し、また消してはするうちに、また1週間が過ぎていきました。

 ただ、この先何が起こるにしろ、生きている限りは前に進むしかないのだとようやく思い至っています。この時のことを忘れることなく、忘れたくないと思った気持ちも忘れることなく、過ごしたいと思っています。

 さて、震災後は普段どおりのマインドをもって生活することがいかに難しいかを思い知らされました。中には自分の頭で考えたというより、みんながやってるから右に倣えと言わんばかりの奇妙な現象もあったりして、そんなものに流されないようにとは思っても、すべての不安を取り除くことはできませんでした。

 会社も相次ぐ仕事のキャンセルでとうとう「出社するに及ばず」と言われてしまい、数日休みになってしまいました。昼間仕事がないからといって、殺気立ったスーパーに買い物には行きたくないし、テレビ報道を見るばかりでは陰鬱になるばかりでした。

 やっぱり、こんな時こそ楽しいことをしよう。計画停電で電車ダイヤが乱れていることもあり、余震があっても、家に帰れるよう自転車か徒歩で行ける範囲内の喫茶店に行くことにしました。

 住宅街のその小さな喫茶店は、営業日が平日のみらしく、ほとんど訪れることができませんでした。周囲のビルに埋もれた古い木造住宅のその店は、本日も近所の常連さんで賑わっていました。マスターと奥さん(たぶん)は出前のピザパイを焼くのに大忙しでした。
 そんなところへ、「今晩にも大規模停電があるかもしれないって、テレビでやってたよ」と、あいさつもそこそこに、近所の方がやってきました。寅さんの映画でいうところのタコ社長みたいな登場です。
 「じゃあ、どんどん焼かなくっちゃね」と、常連のおばさんが、忙しそうなお二人の代わりに返事をしていました。
 この店の日常を知らないので、あまり勝手な断定はできませんが、それでも自分には、普段どおりのように思えました。お店も、御主人も、お客さんも。

 「こんな時だからこそいつもどおりにやっている」というより、「いつもどおりのことしかできないし、それが自分にとってもお客さんにとってもいい(落ち着く)のだからそうしている」ように見えました。
 普段ではありえない時間帯に、めったに行けない店に行くことだけでも、(ささやかかもしれませんが)特別なことでしたが、お店がいつもどおり(のように思えた)ことも加わって、忘れられない印象が残りました。自分が行くお店には「いつもどおり」を過剰に期待していることもあるのですが、普通ではない時にこそ、普通の営みが素晴らしく輝いてみえるのだと、心底そう思いました。
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by matsutakekissa | 2011-04-21 12:57 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

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