昭和初期・新宿カフェ街

 『琥珀色の記憶』(奥原哲志 著、河出書房新社刊、2002年)という本は、喫茶店好きでその歴史を調べたいと思った人ならご存知の方も多いのではないでしょうか。そして、その本を読んだ後、新宿歴史博物館に足を運んだ人も少なからずいるのではないかと思いますが、私もその1人です。
(以下、昨年春の出来事なので、記憶違いの部分もあるかもしれません)

 本の内容は明治以降の日本の喫茶店史がコンパクトにまとめられた歴史教科書的なものです。また、本の前半では戦後の新宿に存在し、一時代に名前を残した喫茶店「ふう月堂」「青蛾」などが取り上げられています。
 著者は新宿歴史博物館に勤務していた学芸員の方で、どうやら、2000年に開催された企画展「琥珀色の記憶―新宿の喫茶店」がきっかけで、本書の出版に至ったようです。
 史料や写真の中には「新宿歴史博物館蔵」というキャプションが入っているものもあり、実物を見に行きたくなりました。もしかすると、特別展の史料の一部は常設展示されているかもしれない、と期待もしました。しかし、あれやこれやと予定は延び延びで、昨年の春先にやっと訪れることができました。

 博物館は四ツ谷駅から歩くこと10数分で、住宅街の中にひっそり佇む博物館でした。
 常設展示の構成は縄文時代、中世、江戸、昭和、文学作品における新宿となっており、急ぎ足だと15分くらいで見てしまえそうな規模です。目当ての昭和時代だけしっかり見て、他は流してしまおうか。ところが、博物館案内ボランティアの方に声を掛けられ、展示の前半を解説してもらう流れになりました。
 最初は、正直時間がかかりそうで「めんどうだなあ」と思いましたが、決して団体旅行の添乗員のごとき立て板に水の口上ではなく、あくまで展示への理解をサポートするような解説で、思わず聞き入ってしまいました。色々なお話の中では、博物館建設の際に出土した用途不明の地下室の謎に、特に興味をそそられました。

 さて、ようやく昭和の展示にたどりつきました。新宿は関東大震災以降、今のような街に変貌していったそうです。新宿の中心部はもともとは四ツ谷に近いエリアでしたが、震災後は現在の場所に移転しました。震災は人びとの生活圏を東京西部の郊外に移すことになりました。そして、新宿駅は郊外から中心部へ、また中心部から郊外へ移動する人々のターミナル駅として、現在のように発展していったそうです。
 当時新宿駅前にあった店舗の地図には、東京パン、中村屋、二幸、ほてい屋、三越、伊勢丹などの屋号が記載されていて、自分の記憶の中の現代地図と比べてしまいました。
 そして、展示の最後にあったのが、新宿・昭和10年頃のカフェ*街でした。当時のカフェのマッチが、店のあった場所を示す地図とともに展示されていて、当時のカフェの一軒(カフエー麗人館)が模型になっていました。
 模型の前にあるボタンを押すと、ディック・ミネの「ダイナ」が流れ出しました。建物外観はまるで日本家屋の旅館か料亭のようでしたが、店内は西洋風で、ソファとテーブルが並んでいます。2階建の建物の1階部分には、白鳥が泳ぐ池もあり、着飾ったご婦人が殿方とお酒を楽しんでいる様子が表現されていました。給仕の女性は着物姿で髪を結い上げ、白いエプロンを付けていて、こちらも建物と同じ和洋折衷の姿でした。
 全体的に現代の喫茶店というよりはダイニングレストランやカフェバーに近いようで、豪奢な建物を見ると、現代の喫茶店よりも気軽に入れる雰囲気ではないようです。
 75年前の街や人々の風俗はやはり遠い昔のできごとに思えます。実際はそんなに昔々でもないのに、どうしてだろうか。年配者からは、戦前と戦後で街も人も、大きく変わったとよく言われますが、そのせいもあるのかもしれません。

新宿歴史博物館
新宿区三栄町22番地 9時半~17時半 第2・4月 休
(現在工事のため2011年1月末まで休館中)
※『琥珀色の記憶』の著者、奥原哲志さんは、現在、鉄道博物館の学芸員として在籍されているようです(新宿歴史博物館ホームページより参照)
*当時の表記に倣い、「カフエー」という表記もあるようですが、博物館内販売の資料の通り「カフェ」としました。
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by matsutakekissa | 2011-01-18 12:56 | エトセトラ | Trackback | Comments(0)  

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